
岡本太郎の"自分の中に毒を持て"は、スケートボーイ 夏の推薦図書。暑すぎてスケートできない日や旅の途中に絶対読もう。
"スケートボーイは、DIYボーイでもある"では、このページを引用した。

むしろ下手な、不器用な、素人の手づくりの方がいいと思う。その方がずっと人間的に身近な感じをおぼえるし、見ていると夢がひらくからだ。あんまり器用にでき上がったものは冷たくて、何か自分の外っ側にあるような気がしてしまう。それは自分ではとうてい作れないもの、つまり本質的には自分から離れたものであるからだ。
<中略>
そういう年季の入った芸や特殊な技ではない、まったく素人、下手なのが平気で作ったものに、「手づくり」のほんとうのよろこび、人間的なふくらみがあるはずだ。
インターネット、SNS、AIの発達で、タイムラインには、スケボーだろうがなんだろうが、何をやっていても、自分よりキレイに、素敵に、完璧にやっている人がいることを目の当たりにするようになった。自分ができること、やっていることに価値を感じにくい。
でも、岡本太郎は、そんなことは気にしなくていいというどころか、下手くそで、不器用で、素人がやっていることのほうがいいと言っている。下手であること自体に価値があると語っているのだ。これは、DIYで何かを作ったり、絵を書いたり、器を作ったりといったことだけじゃなくて、スケートボードにもあてはまる。
岡本太郎は、"自分の中に毒を持て"の中で、下手くそだったら、それを楽しめばいい。下手だったら下手なほど楽しいじゃないか。と言っている。この言葉だけで、一体何人の下手くそスケーターが救われるだろうかと思った。
初めてスケボーを手に入れて、プッシュすらできなかった最初の日。それでも、明日もスケボーをやりたいと思ったあの気持ち。それがスケートボードの全てなんじゃないかなと思う。
"自分の中に毒を持て"で、岡本太郎は、"きれいと美しいは違う"と言った。今のスケートボードスタイルは、"きれい"に引っ張られ過ぎているような気がする。スケートボードの動きを極めた"きれい"な動きのスケーターが増えた。もしかしたら、スケートボードの動きの答えが出たのかもしれない。無駄を省き、メイク率を高めていくと、"きれい"な動きになっていくのだと思う。ハウツーとチュートリアルのおかげで、答えへの最短距離も導き出されつつある。
だけど、動きとしてキレイじゃなくても、美しい滑りやスタイルが存在する。スケートボードがアートだと言われる理由は、そこにある。
下手くそでもいいから、スケボーを続けよう。